プロフィール
かんたんなプロフィール
はじめまして、骨盤力整体コアスタイルの吉丸昌伸です。
私は兵庫県神戸市出身で、2013年2月に縁あって福島県に移ってきました。
整体師の仕事を志したのは、二十歳のときに椎間板ヘルニアを患い、それから15年以上腰痛に悩み続けたある日、この痛みから解放される整体と出会ったことからでした。
その後、復興関係の仕事に携わりながら、郡山市で出張専門で、そして2017年、骨盤力整体コアスタイルを福島市で開業しました。
今や第二の故郷福島で、少しでも多くの辛い症状でお悩みの方のお役に立てればと思っています。
少しながいプロフィールです。お時間のあるときによければごらんください。
六甲山に鍛えられた少年時代
神戸は、海と山が近く坂道の多い街です。
とくにぼくが生まれ育ったところは六甲山のふもと、急な坂道の途中からは神戸大学のキャンパスがひろがり、さらに登った高台で夜景のきれいなところです。
中学校へは、山からくだってまた山を登る3キロほどの道のりを、3年間歩いて通いました。また部活も野球部だったので、坂道ダッシュや六甲山のマラソンでしっかり足腰を鍛えられました。
腰痛人生のはじまり
野球、山登り、走ることが好きで年がら年中真っ黒に日焼けした小中学校時代をすごし、高校時代は同級生とバンドを組んでロック少年、大学では授業そっちのけでアルバイト漬けの日々でした。
引越し屋さん、警備員、海の家、家庭教師など、あらゆるアルバイトを経験しましたが、夜景が望めるバーでのアルバイトで、後に整体師になるきっかけとなる腰痛と出会うのでした。
それは二十歳のある日、いつものように洗ったグラスを棚に戻そうと手を伸ばした瞬間、腰に稲妻が走りそのまま動けなくなったのです。それが初めてのぎっくり腰、ぼくの腰痛人生の始まりでした。
セカンドオピニオンに救われる
いまでこそ、ひとつの病院だけでなく、他の病院の診断もうけるセカンドオピニオンという言葉が一般的になっていますが、30年以上まえの当時、そんな考えはまったくありませんでした。
近所の整形外科で手術と言われたことを母に告げると、母が以前、膝に大怪我を負ったときにお世話になった先生のところに、なかば無理矢理連れていかれ診察をうけたのです。
切らない主義のその先生の治療は、石膏で型を取って作ったオーダーメイドのコルセットを痛みがなくなるまで使うだけでしたが、半年使い続けて痛みも不安もなくなり、手術をせずに普段の生活に戻ることができたのです。
治療院ジプシーからほんものとの出会い
大学を卒業して地元の広告代理店に就職しました。当時はバブル最後の時期、まだ景気は良く多忙でしたがやりがいを感じて仕事に取り組んでいました。
悲しい事件があり長時間労働が問題視されていますが、当時から徹夜もしばしばというハードな労働環境はありました。それも要因のひとつかと思われますが、だんだんと肩こりが辛くなり、ついに腰痛も再発することになってしまいます。
最初のころは、たまにサウナでマッサージをしてもらう程度だったのが、整体、整骨院、カイロ、さらに強いマッサージと、その頻度も週2〜3回、時には一日に数軒はしごするようにまでなり、その時は楽になってもまたすぐに元どおりということが、当たり前のこととして過ごしていました。
そんな治療院ジプシーを続けて15年以上たったある日、知人の紹介でこれまでにない整体と出会いました。それは身体のゆがみを改善することで根本的な原因から治療するというものでした。
腰に痛みがあるけれど腰だけに痛みの原因があるわけではない、という考え方はまさに目からうろこでした。この整体で腰の状態はみるみる改善し、整体師の仕事に強い興味を持つのでした。
人生の転機
阪神淡路大震災の翌年、31歳のとき、地元の広告代理店から外資系のコンサルティング会社に転職し、その後フリーランスでプランニングの仕事をしていましたが、40歳を過ぎたころ取引先の出資を受け広告の企画制作会社を立ち上げました。
会社は順風満帆にまわりはじめていましたが、3年目を過ぎたころ、ぼくの経営者としての未熟さと不運な出来事が重なり、経営が立ちいかなくなりました。
そんなときでも応援してくれる取引先もありましたが、一度失った信用を取り戻すことは難しく、これから先どうしていくべきか考えざるを得なくなったとき、「整体師」になってやり直すことを強く意識したのです。
神戸から福島へ
一から出直し整体師になるための学費を得るため、ようやくみつけた仕事が福島県での除染工事の現場監督でした。土木関係の仕事など経験ゼロでしたが、現場は人手がまったく不足していてまさに猫の手も借りたい状況、やる気ひとつで採用となりました。
そうして2013年2月に郡山市に赴任し、その後、川俣町、南相馬市の現場で働きながら、休日には東京へ整体を学びにいく生活が始まりました。
現場の仕事はつねに工期におわれ、残業はもちろんのこと休日もままならず、普通に通えれば1年以内に資格をもらえるところ足掛け2年半かかって、ようやく師匠のお墨付きをいただき整体師となったのです。
福島での開業
資格を取ってからも現場監督の仕事は続けていましたが、このころには現場も落ち着き休みもとれたので、週末、自宅と出張で施術の経験を積むことになりました。
そんなとき、福島市の中心街でチャレンジショップとして開業できる制度を知りました。福島県に来た当初は、整体師の資格を取り神戸へ帰って開業することを考えていましたが、このチャンスを活かしてみようと応募したところ、あたたかく迎え入れていただき2017年12月オープンとなりました。
骨盤力を通して
チャレンジショップでのご縁を大切に 、福島の人の痛みのない身体、美しい姿勢に貢献したいと思います。そして近い将来、福島と神戸を骨盤力を通してつなぐ役割を果たしたいと考えています。